2023.09.06
遠い日のこと
これは我が家にある人形の話。
今から20年前、テレビドラマを初監督した。
人形は劇中、交通事故で自殺する女性が持ち歩いていたもので、
素性のわからないまま死んだ女性の過去を探る手掛かりとなる小道具だったものだ。
脚本には自殺した女性が若い頃に「露店で買ったアンティーク人形」と書かれているだけで
具体的な記述はなかった。
ドラマの「小道具」は4人いる助監督さんの中でフォース、
つまり上から4番目で一番下っ端の助監督さんの担当になる。
フォース助監督の彼は撮影所の倉庫に山ほどある人形から使えそうなものを選んで写真に撮り、
リスト化したものを見せてくれた。
写真を全部見たあと「天野可淡」って知ってる?と、彼にたずねた。
「天野可淡(あまのかたん)」は1990年に37歳で急逝した女性人形作家だ。
病んだ少女のような姿が特徴の「カタンドール」と呼ばれる「球体関節人形」の作り手で、
生きているかのようなリアルさと美しさと妖しさを併せ持つその姿は見る者に衝撃与え、
魅了する。
さて、このドラマ。サスペンスの要素があるものの、実はホラーだった。
だから登場する人形も「ありきたりなアンティーク人形」ではダメで、
ありそうで何処にもない個性とインパクトが必要だった。
さらにこの人形、物語が進むにつれて自殺した女性が若き日に愛し合った恋人との思い出の
品物であることがわかる。つまりこの人形はロールシャッハテストのインクのように想像を
かき立て、印象が様々に変化する外見を備えていなければならない代物だったのだ。
というわけでフォース助監督さんには、
「天野可淡が若い頃に習作として作ったかわいい人形が何かの事情で作家の手を離れて偶然にも露店で売られていた」
「自殺した女性にとって人形は愛の記憶そのもの」という設定で、誰かに新たな人形を作ってもらえないかと頼んだ。
やがて完成した人形は思いがけない効果をもたらしてくれた。
人形の持ち主を演じたのは秋吉久美子さんだった。
この方、当時の映画・ドラマ業界では大変気を使う必要のあることで知られる大物俳優らしかったのだが、
小道具の人形を見るなり超ゴキゲンになった。
『私、人形がどういうものか心配でしょーがなかったけど 良かった!だってコレ私の分身でしょ?』
その通りだった。あの人形は秋吉さんが演じる人物のもうひとつの姿だった。
ドラマの撮影は1月中旬から開始されたので毎日とてつもなく寒かった。
しかし秋吉さんは事故の後、血まみれで倒れている場面もスタンドインを一切使わず
自分からすすんで冷たい路面に横たわってくれたし、
撮影期間中は常に笑顔で演技に集中してくれた。
撮影所ではどこの馬の骨ともわからない奴が監督なのに秋吉さんが出演するということで
成り行きが心配されていたらしいのだが、秋吉さんは文句ひとつ言わないどころか
『回想シーンも私がやりたいなー』と言うぐらい最後までノリノリのまま出番を終えた。
関係者一同驚くやら、ホッとするやらだったが、何故そうなったか誰にもわからなかった。
理由は人形の出来が良かったからだった。
ドラマが完成したあと、二つ作られた人形のうち一つは撮影所の倉庫に保管され、
もう一つをスタッフが僕にプレゼントしてくれた。
いま心残りはこの人形を発注してくれたフォース助監督さんの名前も、
そして人形を作ってくれた作家さんの名前も覚えていないこと。
時が経ち、青かった人形の目は変色して赤くなり、白い服も日に焼けて茶色くなってしまった。
しかしひとつの小道具がベテラン女優の心を動かし、
真冬の厳しい寒さの中でも演技に打ち込ませる力になる事を教えてくれた人形を、
名も知らぬスタッフと人形作家への感謝と共に、
これからも持ち続けたいと思う。