2024.04.10

新人は原石です

毎年4月1日を迎えると自分が社会人になった時のことを思い出します

遅れないように梅田の喫茶店へ7時半ころ時間潰しに入り、

約束の15分前には会社に入りました。居心地の悪い待合室に私を含めて4人が揃い入社式。

 

これからどんな仕事をするのだろう、どんな人たちとともに仕事をするのだろう。

挨拶が終わり、別室で新人研修が約2か月間始まりました。手術台の患者のように言われれるがまま行動するのが、

学生気分を抜き取る治療、社会に順応するのに早道と思っておりました。

人事担当の部長も大手バッテリーメーカーから入社してこられ、徹底して育て上げようと必死に40年間の知識を私たちに教え込まれました。

ビジネスマナーはもとより、ビジネス文書の書き方、債権の取り立て、支払の猶予の願い等、新人にはハードルが高く、休みの日に本を購入、戦力として応えられるよう準備しました。

5月の連休は総勢10名ほどで、大台ケ原へ荒天の中、中止にするか否か現地で言い争うのを聞き、願い虚しくキャンプ決行、テント張り、夕食朝食づくり、先輩に対する心構え、段取りなど一つ一つが当時の日本の猛烈サラリーマンの養成がそこには詰まっていました。

 

私が新人だった時代と今

1980年代はジャパンアズナンバーワンと世界中に持ち上げられ、日本に勢いがあり、皆が振り落とされまいと先輩に追いつけ追い越せの気分が全体にあったのです。もちろん私も兎に角早く一人前になりたい、負けたくない気持が強く、先輩、同期、後輩がライバルでした。ひょっとすると世の中の人全員が敵であるという意識だったのかもしれません。

 

バブルがはじけ、新世紀に入り(古い)日本は、会社は変わったのでしょうか。

決してそんなことはないと思います。

企業はいつの世の中でも社会に貢献し、利潤を追求していくものです。

世の中の雰囲気や一時の政治で働き方が騒がれても、企業が存続する目的は同じなのです。

ただ人権に対する考え方やコミュニケーションの取り方が変わっただけなのです。これが大きい。

学校教育も変わり、クラブ指導、親子関係すべてが変化してきました。

 

昭和のサラリーマンにとってコミュニケーションの取り方を変えることは天地がひっくり返るくらい驚くことなんです。社会に対して無知な新人を教育できず、恥をかくのは会社であり上司なんだよ。

それでも皆さんの上司は腹の中ではハラスメントなんて糞くらえと思いつつ、(体のでかい赤子をこれから一人前に育てていこうと奮闘する上司が)猫なで声で接するのを聞くと密かに私は涙しているのです。(そんなんじゃ舐められるよ。もっと厳しく徹底させろ。)

世の中の新人諸君よ、格好つけたり、権利を主張するのは結構、コミュニケーションや価値観は時と共に変わる。

それは認めるけれど、社会人であるからして「社会と会社に貢献しろよ!」。これは普遍的なものなんだよ。

(最後、昼飯後で、お腹一杯で気が大きくなり一寸乱暴になったことは本意ではありません。)

相談役:服部